「新快速」と聞いて何色の電車を思い浮かべるか。1970年代なら白地に青線の「ブルーライナー」、1980年代なら関西急電色を再現した「シティライナー」、1990年代なら白地に先の関西急電色+JR西日本のコーポレートカラーの三色帯を巻いた221系(愛称なし)、そして現在ならステンレス無塗装に帯色はアーバンライナーと同じ223系(これまた愛称なし)といった具合か。写真は、春の海津大崎の桜見物の多客輸送のために運転された117系臨時「新快速」、現役で京阪神間を運用されていたときとは前面幕が異なる。
山陰本線京都口が電化されたのは、1990年3月の京都−園部間が最初。国鉄民営化直後はまだ非電化であった。国鉄末期から、嵐山への観光客輸送に有効だと目覚めたのか、臨時列車を走らせ始めた。当初は大阪発、梅小路駅から山陰連絡線経由(京都駅は経由せず)で嵯峨駅終着の「嵐山映画村号」として運転されていた。
京都−木津間の奈良線は1986年10月に電化されたが、それと同時に京都−和歌山間を奈良線、和歌山線経由で結んでいた急行「紀の川」が廃止された。この列車は、毎朝奈良線を普通列車として奈良から京都まで上り、折り返して急行になる、という運用だった。組み込んでいたグリーン車は、普通列車として使用するときには鍵がかけられていて、立ち入ることが出来なかった。写真はさよならマークを掲げた最終日の列車。
いわゆる通勤ライナーのひとつ、「やまと路ライナー」。関西本線加茂から天王寺を結んでいたが、2011年3月改正で廃止された。
2010年の平城遷都1300年祭にあわせて春の週末に運転された特急「まほろば」。
昔はこんな臨時もあった。王子発、関西本線、奈良線、湖西線経由「びわこ舞子ビーチ号」。167系で運転。奈良駅にて。
伊勢方面への修学旅行臨も、昔は12系客車だった。草津を発車し東海道本線を下っていくところ。
琵琶湖の最北端マキノ付近の「清水桜」と呼ばれている桜と、特急列車。
1987年5月に京阪本線の七条−三条間が地下化された。それまでは鴨川の横を走り、四条通や国道1号線の五条通を踏切で遮断していたものだが、地下かと共にその姿はなくなった。ちなみに、それから二ヶ月もしないうちに大雨によって出来たばかりの地下区間が水没するという事故が起こった。
京津線。蹴上は桜がきれいなのでよく写真を撮りに行った。
叡電。雪が積もったので自宅から歩いて写真を撮りに行った。当時は田舎の路線だったが、現在では周囲は住宅地となり、複線化して線路脇には高いフェンス。
嵐電。昔は朝夕のラッシュの他、観光シーズンの休日には制御車をつなげて二両運転していた。
野上電鉄。明治チョコレートのテレビCMに登場したので、しばらく安泰かと思ったら、あっけなく廃線になってしまった。和歌山にはミニ私鉄が割とあったが、今残るのは紀州鉄道のみ。
近畿地方