こちらは、かつての敦賀第二機関区で行われた撮影会。EF70のうち、ブルートレイン牽引用に改造された車両は1000番台を名乗っていたので、右のEF70 1001号機が「日本海」を実際に牽引したこともあったが、左の1号機が「つるぎ」を牽引したことがあったかどうかは不明。
国鉄末期には各地で機関区撮影会が開催されていた。米原機関区でも廃車前提の休車状態であったEF58を展示して行われ、色々なヘッドマークが取り付けられた。
青森駅で発車を待つ「日本海」。東北新幹線が新青森まで開業する前は一番右の1番線も青い森鉄道に移管されていなかったので、日本海は1番線から発車していた。
新疋田付近の有名撮影地を走る、トワイライト色の機関車EF81 113牽引の「日本海」。この日は夜から明け方まで降った雪が止み、空も明るくなってきて撮影にはもってこいのコンディション、しかし牽引機がトワイライト色ということでがっかりした人も多かったようだ。
青森へ向けて走る「日本海」。
寝台車は居住空間を確保するために屋根が深い。国鉄の固定編成寝台客車は、屋根高さを必要としない食堂車や電源車も寝台車に合わせた屋根とされ、見た目にも前から後ろまで屋根の形が揃った美しい外観だった。
直流区間では機関車のパンタグラフは両方とも使用するが、交流区間では片側だけ。羽越本線内の大雨の影響で遅れて運転されたために、太陽が昇りすぎて下回りが黒く潰れてしまった。
20系客車で運転された臨時「日本海 82号」。この臨時列車は、その後、定期「日本海」(寝台幅70cm)と比べて設備が見劣りするという理由で急行「あおもり」に格下げされたという。
二往復時代の1・4号は、宮原所属車両を使用した編成で、電源車が大阪方に連結されていた。時にはこのように機関車とその次位の電源車の二両がトワイライト色ということもあった。トワイライト色のEF81は連結器が密着式自動連結器に取り替えられ、乗り心地が向上しているため、乗客にとっては結構なことだった。
定期運転晩年はトワイライト色のEF81が牽引機としてが充当されることが多くなっていた「日本海」。「トワイライトエクスプレス」登場時には珍しかったが、二往復あった日本海も一往復となって、国鉄時代の編成に近い姿の見られる原色EF81の方が人気が高いというのは不思議だ。
日本海