「東の箱根、西の瀬野八」といわれる鉄道の急勾配区間の一つ、広島の東に位置する山陽本線瀬野−八本松間は、後補機を連結した貨物列車が運転されることで有名。1984年10月に訪れたとき、瀬野駅に隣接した瀬野機関区にはEF61 200番台が庫の中に、そしてその外には廃車前提で休車となっていたEF59が留置されていた。左端にわずかに見える黒色の貨車が、停車中の貨物列車の最後尾、ここに中央奥に見える朱色の機関車EF67がこのあと連結される。
現在では瀬野機関区は廃止され、後補機は広島貨物ターミナルで連結されるようになっている。
あとおしを終えて瀬野機関区に四重単で引き返してきた補機たち。左からEF61 200番台が2両、そしてEF67、右端もEF61 200番台。
国鉄末期に各地で登場した高頻度・等間隔運転の普通列車のひとつ「広島シティ電車」。
2003年に非電化区間が廃止された可部線の、現在の終着駅である可部駅。旧型国電72系電車の引退直前、1984年の撮影。たまたま検測用気動車キヤ191系が停まっていた。
小野田線の支線、雀田−長門本山(通称、本山支線)は旅客数も少なく、一両編成で十分と判断されたようだった。国鉄新性能電車は2両単位でユニットを組むことが基本とされたので、一両で運転できる新性能電車として適当なものがなく、長年にわたって旧型電車が運転されていた。もともとは1934年に吹田−須磨が電化されたのにあわせて新製された関西国電の元祖ともいえる(初の関西国電は、その前年に電化された片町線向けの40系電車)車両。終点の長門本山から折り返して雀田に向かう列車、後方には周防灘が見える。
岡山と鳥取を結ぶ陰陽連絡としてかつては栄えた因美線であったが、智頭急行開業はローカル線に転落、しかしそれを逆手に取って「みまさかスローライフ列車」というのが2007年から観光シーズンに走るようになった。当初は形式廃止間近のキハ58系が充当され、人気であった。
岡山県の吉井川に沿って走っていた同和鉱業片上鉄道。1991年に廃止されたが、その数か月前の撮影。
山陽地方